コラム記事・研究会レポート

病の深い意味に気づき、自己実現をめざす

2010/03/31
コラム

文・愛場庸雅(大阪市立総合医療センター耳鼻咽喉科部長・協会理事)

病の深い意味に気づき、自己実現をめざす

「がんになりましてねえ」と電話口で言ったら、間髪を入れずに「へえ、それはまたすごい宿題をもらいましたねえ」と返ってきた。思わずニヤッとする。相手はある民宿の親父。「病気や困難は天から与えられた宿題、明るく前向きに取り組む事に価値がある」と、故伊藤真愚先生はおっしゃっていた。お互いそれを知ってたからだけど。

ホリスティック医学という言葉と出会った頃、ホリスティック医学とは現代医療と代替医療を統合し、見事に駆使して理想的な治療を目指すものだと思っていた。そしていろんな治療法を見てゆく中で、治療効果に与える心の影響を考えた時、治療のつらさ、苦しさにも意味があり、現代医学でも代替医療でもその理論だけにとどまらない意味や価値があるということに気づいた。全ての事にそれなりの意味はあるのだ。だから、代替医療を頭ごなし否定する医学者も、逆に、現代医学や他の治療法の欠点をあげつらい、自らの療法のみが正しいとするような狭い考え方の代替医療家も、決してホリスティックではないと感じていた。ホリスティックな考え方とは、自分とは異なる他人の価値観を認め、その存在を許すことができることだろうと思う。

そんな私は、8年前にがんになった。病状は、それほど生易しいものではなかったが、治療の余地はあった。まさに、ホリスティックながん治療を自ら実践するチャンスであるとすら考えていた。しかし・・・、「現代医学と信頼できる代替医療を統合して、うまく使いこなせば理想的な治療ができる」という甘い考え方はみごとに敗北した。時間がない、継続できない、お金がない、保証もない。楽して治そうなんて甘いのだ。つらい、苦しい思いをして、自分自身が本当に変わらなければならないのだ...。

がんになったあかつきに、「自然治癒学プロジェクト」で、がんの自然治癒について話してくれと頼まれた。ごく稀にあるがんの自然治癒のケースは何を教えてくれるのか? 改めて考えてみると、心の治癒力にスイッチが入るには、スピリチュアリティの変化が大きい影響を与えていると考えざるを得ない。平たく言うと、がんが教えてくれるのは「生き方を変える」ことだということに気づいた。つまり、ホリスティック医学の定義の中の5番目、「病の持つ深い意味に気づくこと、より深い自己実現をめざすこと」が最も重要で、ホリスティック医学の真髄はここにあると思うようになった。切羽詰ったぎりぎりの崖っぷちに身を置かざるを得ないがんという病気は、だからこそ非常に深い意味と価値があるのだ。そして、自分にとってのがんの意味を考え続ける生活が続いた。

一方で、総合病院での耳鼻咽喉科・頭頸部外科医としての仕事も続けている。そこで日々見るものは、いろんな悪条件と向かい合いながら、その時々の医療を必死に行っている病院のスタッフたちと、患者さんたちの姿である。現場では、ホリスティック医学の理屈など言っておれないような厳しい現実がある。理想のホリスティック医療への希望を心の奥深くに置きながら、いま、ここでできることをやってゆくしかないのも事実だ。日々訪れてくる多くのがん患者さんが、自らに課されたがんの意味に気づき、その後の人生をよりよいものにしてくれるよう心の中で願いながら、私はメスをにぎり、抗がん剤を処方し、あの世に旅立たれる方のお手伝いをしている。最近ではそれが、私のがんが私に教えてくれた私の仕事、「がんの意味」だと思うようになってきた。理想のホリスティック医療は、幸福の青い鳥のように、探して、探して、探し求めてそのうちどこかで見つかるものではなく、実は、問題ばかりで理想からははるかに遠いと思っている自らの日々の診療の中にこそあるのかもしれないと思い始めている。

ホリスティックな医療とは、決して各種の代替医療にかけるお金がある人たちや、立派なホリスティックマインドを持った優秀な治療家にめぐり合えた幸運な人々だけが享受できるようなものではないはずである。現代医療は、その技術はすばらしい面がある一方で、大きな矛盾と問題を抱えている。高度な先進医療を、保険制度のもとで誰でもが受けられる有難い環境にありながら、医療への不満と不信からドクターショッピングを繰り返す人々がいる一方で、予防接種を受けることすらできずに幼い命を閉じる子供たちもこの地球上にはいる。検査と治療に高額のお金のかかる先進医療は、どう見ても全ての人々に平等に行き渡るものではない。今や日本の医療は崩壊寸前。我々勤務医は疲弊しきって、救急医療や小児医療から手を引く病院も増えている。医療のありように対する考え方そのものを見直すことを余儀なくされる時代になりそうである。

・・・が、これは必ずしも不幸なことではないのかもしれない。今の医療制度の崩壊は、実は、今までの「何かおかしい」医療に対して、自然治癒力とでもいうべき力が働いて、医療が本来のあるべき姿であるホリスティックな方向に向かってゆく道程なのではないだろうか。ホリスティックな医療が必然的に医療の主体になってゆく、いやならざるを得ない時代が近づいて来ているようにも思える。

がんは、本当にいろんなことを考えさせてくれる存在である。さて、宿題は解けたのだろうか?