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死生観を巡るあれこれ

2019/07/02
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文・帯津良一(おびつりょういち)
帯津三敬病院名誉院長、帯津三敬塾クリニック主宰。

随想「死を考える」

死生観というものは年齢とともに培われていくものらしい。
外科医として食道がんの手術に明け暮れ精を出している頃は、いかに良い手術をするかが精一杯で、患者さんの死について思いを寄せるということはほとんど無かった。恥ずかしい限りである。
それがホリスティック医学となると、一人ひとり個性的な戦略を立て、二人三脚でそれを遂行していくので戦友の関係になる。戦友が斃れるときは、傍に居て、その旅立ちを見送ろうという気持ちになって、死がこれまでになく近い存在になって来る。
当然、自分の死についても思いを馳せることになる。心筋梗塞や脳出血で一瞬にして死ぬのは嫌だなと思った。自分の人生を振り返り、為残したことを為て、向こうへ行きたいと思ったからである。
やはりがんで死ねるのがいいなと思ったが、周囲にはがんで死にたくない戦友たちが大勢居る。これは口が裂けても言えないなと思い黙って死の直前に読むべく、大作を買い集めたものである。たとえば、O・シュペングラーの『西洋の没落』、M・プルーストの『失われた時を求めて』、芹沢光治良の『人間の運命』などである。
ところが夏目漱石は『野分(のわき)』の中で、主人公の白井道也に「理想の大道を行き尽くして途上に斃るる刹那に、わが過去を一瞥のうちに縮め得て始めて合点が行くのである」と言わしめている。これを読んで、どのような死に方をしようと、わが過去を一瞥のうちに縮め得るとすれば、もう本を買い集めることはないなと思い、夏目漱石の死生観がわが死生観になってしまったのである。

死は誰にも平等に訪れるものだから、どのような死に方をしてもよいのだという考えもあるが、死はわが人生のラストシーン。かつての映画少年である私としては多少はこだわりたくなる。名画の名ラストシーンをたくさんおぼえているからである。
まずはジョン・フォード監督の『駅馬車』か。行き交う人々でさんざめくローズバーグの街の宵。脱獄囚リンゴ(ジョン・ウェイン)が恋人ダラス(クレア・トレヴァー)と共に自ら馬車を駆って街を出て行く。見送るは彼を見逃した保安官カーリー(ジョージ・バンクロフト)と酔いどれ医師ブーン(トーマス・ミッチェル)。2人の会話がいい。
同じジョン・フォード監督の『荒野の決闘』のラストシーンも負けず劣らずなら『カサブランカ』、『第三の男』と枚挙に遑が無い。あれだけのラストシーンを描くことができるジョン・フォード監督はさぞかし粋な人だったに違いない。あの魅力あふれるモーリン・オハラを多用したこともわかる。
だから良いラストシーンを手にするためには、平生粋な生き方を追い求めながら、折にふれて、ラストシーンのイメージを思い描いていくことだ。もちろん1つのイメージにこだわることはない。7つも8つでも思いのままにイメージを溜め込んでおくことだ。そうすれば、いずれかのイメージが実現する可能性は弥が上にも高まってくる。楽しみなことではある。
さらに大事なのは死後の世界である。これが本当に有るか無いかということになると誰も断定することはできない。遠藤周作さんによると70代の前半にもなると、死後の世界からの囁きが聞こえてくる。
この囁きに耳をすますのが老いというものなのだということになる。82歳になったというのに私にはまだ聞こえてはこない。しかし、これこそ先の楽しみとして掌中の珠のように大事にしている。ただ、私としては死後の世界が無いと困るのだ。先に行って待っている人がたくさんいるからだ。両親、私を育ててくれた小母さん、そして女房といった身内のことは言わずもがなとして、まずは太極拳の師である楊名時先生。
先生は酒仙李白も斯くやとばかりの無類の酒客であった。先生と酒を酌み交わした1日1日が、私にとってはまさに浄土であった。
先生が逝かれて、早13年。あの酒席を再現したい気持ちが募るばかりである。
次なる酒客は東大第三外科の戦友片柳昭雄さんか。これほどの手術の名手を未だ知らない。静かに笑顔を絶やさず、いつまでも飲んでいる酒も手術に負けず劣らずの品格ではあった。
さらには私の第二のふるさと、中国は内モンゴル自治区ホロンバイル大草原の友人たちである。内科のアルタンサン先生と外科のウインダライ先生がすでに旅立っている。2人とも大の酒好き。その上、日本語は天性の達人。早く会いたいものだ。

話は変わるが、畏友青木新門さんの提言に従って、患者さんの死に対する不安を癒すために、70代を迎えた頃から「今日を最後の日と思って生きる」ことにしたのである。すると驚くべきことに毎晩の晩酌がキリストの最後の晩餐になったのである。
まずはよく冷えたビールを一気に呑むと、背筋がピンと伸びる。琥珀色の液体がこんこんと音を立ててロックグラスに注がれると、下腹部にある種の覚悟が生まれる。「よし!あと5時間半、しっかり生きよう」という覚悟である。
そして飲むほどに酔うほどに、この覚悟が大いなる喜びに変わってくるのである。まさにベルクソンの「歓喜と創造そして来世へ」である。するとすでにあの世の住人となっている戦友の誰彼が現れる2のである。やがてあの世とこの世の境がなくなって1つの世界になってくる。後は“死生命(めい)あり”ということか。

 

 

 

 

 

 

 

 

2018.6月発行『HOLISTIC NewsLetter Vol.100』より

帯津 良一 (おびつりょういち)
帯津三敬病院名誉院長、帯津三敬塾クリニック主宰。1936年生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東大病院第三外科医局長、都立駒込病院外科医長を経て、82年埼玉県川越市にて開業。西洋医学に中国医学、気功、代替療法などを取り入れ、人間をまるごととらえるホリスティック医療を実践している。日本ホリスティック医学協会名誉会長。著書『死を思い、よりよく生きる』(廣済堂出版)、『ホリスティック医学入門』(角川書店)、『代替療法はなぜ効くのか』(春秋社)、『後悔しない逝き方』(東京堂出版)他多数。