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まなざしとこころざしの医療
ホリスティック医療には、特定の治療法やこれさえやればよいといったものはありません。単にいろんな療法を寄せ集めればいいというものではなく、一人ひとりの肉体(ボディ)―心(マインド)―霊性(スピリット)のつながりを大切に考えて、患者自身の意思(人格)を尊重しながら、精神的な気づきや充足感などについても配慮した医療のまなざしとこころざしに重点を置いています。
したがって、医療者や患者にとっても、何が「ホリスティック」かは、一人ひとり違って当たり前であり、生き方に「自分らしさ」を模索するのと同様に、自分にとっての「ホリスティック」とは何かを問い続け、自分らしい医療を自らが選択していくことにほかならないのです。
ホリスティック医療の主役はあくまでも患者さん自身です。同時に、生命エネルギーは相手との関係性(コミュニケーション)によっても変化するため、医療者自身のエネルギー場をより良い状態に高めておくことも大切です。
そして、患者さんの生命エネルギーを高めるためには、その人と向き合う医療者の強いパワーも必要ですが、それだけではなく、人としての”弱さ”も併せもっていなければなりません。不安や恐れへの共感、つまり、患者さんと共に弱さや痛みを分かち合う自在性をもつことも医療者には求められているのです。生命場の癒しと再生は、往々にして患者と医療者の”共鳴作用”によって引き起こされることがあるからです。
ホリスティックな視点で「病い」をとらえる
「病いがない状態と同じように、病の状態も大切に」と言うのはたやすいことですが、行うのは簡単ではありません。自分が病気になれば、できるだけその病気(現実)について見たくないし、人生から排除したいと願うものです。たとえホリスティックな視点を理解していたとしても、自分が実際病気と対峙したとき、本当に病気を大切にしていくことができるのか・・・疑問は残ることでしょう。
病いの道のりとは、険しく、厳しいプロセスの連続です。「明日死ぬかもしれない」という不安で胸がつぶれそうなのに、そこに意味を見出すなどと簡単には口にできません。むしろ意味なんて見出したくないと思って当然のことでしょう。
それでは、どうしたら、病いを大切にしていくことができるのでしょうか。「病い」は、自分でコントロールできないものであり、理由なく陥ってしまうもの、あるいは予期せず訪れてしまうものとも言えます。
病気とは不条理で、理不尽なものです。それはある意味で人智を超えた存在であり、合理を超えたものであるといえるでしょう。もちろん病気と闘い、打ち克とうとする努力、克服しようとする姿勢も大切です。しかしその一方で、病を「聖なる」ものとして扱い、敬うことで私たちは病気のとらえ方を見直すことが可能になるのではないでしょうか。
病はある意味では、闇の世界からやってきて、私たちがふだん忘れているものを気づかせるようなものともいえます。あるいは、いまの自分を映す鏡といえるかもしれません。病いという鏡を通して、自分の姿を「ありのまま」に見つめ、受けとめる。それは、どこかに置き忘れてきた自分を取り戻す作業と考えることもできます。
病を大切にするとは、このように病の中にも意味を見い出そうとする姿勢です。病気と闘ったり、取り除くだけでなく、病気とともに変化し続ける人生まるごとを、ありのまま尊重し、寄り添っていく。そのサポートをするのが、ホリスティックな医療なのです。
<参考文献>
「ホリスティック医療のすすめ」岸原千雅子著(日本実業出版社)
